皆様

こんにちは。講師のMizuhoです。

先日、稲垣吾郎さんがナビゲートするゴロウ・デラックス(TBS)

という番組で新保 信長さんの「字が汚い!」という本が紹介されてましたので興味深く拝見しました。

内容はそもそも文字の書き方のきれい、汚いということはどういうことに影響しているのか?という所から始まりました。

番組の中で偉大な文豪はどのような文字だったのか?

というコーナーが有り今まで見たことがなかった文字を発見しましたのでご紹介します。

江戸川乱歩の文字と謎の生活の紹介

江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江?川

男性、1894年(明治27年)10月21日 – 1965年(昭和40年)7月28日)
は、大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。

また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。

実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。

本名は平井 太郎(ひらい たろう)。日本推理作家協会初代理事長。位階は正五位。勲等は勲三等。

ペンネーム(江戸川乱歩)はアメリカの作家、エドガー・アラン・ポオに由来する。

一風変わった作風が多く、数々の名作を生み出した乱歩は、著名人にも多くのファンを持つ。

* * *
『鏡地獄』(創元推理文庫、光文社文庫『江戸川乱歩全集二巻』収録ほか)
 
 鏡やレンズに病的な執着を持つ青年。彼は自宅の庭に実験室を造り、
鏡像がもたらす視覚の快楽に耽溺する。
内部が鏡張りの球体に入ったらどのような光景が見えるのかという異様な発想をもとにした、
乱歩ならではの艶麗な幻想と恐怖の世界。

『芋虫』(角川ホラー文庫、光文社文庫『江戸川乱歩全集三巻』収録ほか)
 
 戦場で四肢も聴覚も言語も失い、視覚と触覚のみの存在となって生きる須永中尉と妻の時子が送るおぞましい官能の日々と、その凄惨な破局。
地獄と悦楽が隣り合わせに共存する人間心理の異様さを描ききった、乱歩の怪奇文学の到達点。

* * *

実生活も謎であったと言われている

乱歩は早稲田大学在学中から様々な仕事に手を染め、
25歳の時には団子坂で弟二人とともに
「三人書房」という古本屋を営んでいたこともあります。
以下が乱歩がついたことのある職業です。封筒貼りの内職、
市立図書館の貸出係、英語の家庭教師、貿易商、タイプライターの販売、造船所、
雑誌編集、支那そば屋、新聞記者、ポマード瓶の意匠宣伝・・。

江戸川乱歩によると

大正十四年に専業作家になってから現在まで満三十一年余だが、
そのうち十七年休筆していたのだから、正味十四年あまりしか働いていない勘定になる。
書いているより休んでいる方が多かったのである。

と言われてます。

理由としては

1回めの休筆ー1927年3月:愚作「一寸法師」に嫌悪を感じて。
2回めの休筆ー1932年3月:平凡社の全集の印税で当分生活に困らないから。
3回めの休筆ー1935年5月:「悪霊」の中断や「石榴」の失敗に嫌気がさして。
4回めの休筆ー1941年ごろ:戦時の情報局の方針で探偵小説が書けなくなる。以後10年近く書かなかった。
それでもたくさんの作品を残していますね。

乱歩の通俗長編が大衆に歓迎された理由は、作品自体の面白さ以外に、
時代的背景が影響していたと言われています。

金融恐慌で、「エロ・グロ・ナンセンス」といわれる退廃的気風が満ちていたと言われています。

江戸川乱歩の筆跡①

まず明らかなのは全体の文字がつながっているような印象を受ける

一風変わった筆跡ですね。

この文字は連綿型と言われています。

強連綿型、細連綿型とあり、

 

この方は強連綿型に近いような印象を受けます。

自信家であり、集中力に富む方に多いと言われています。

次回はもう少し細かく見てみたいと思います。